おみょうにち。

人と別れるとき、何と言うだろうか。

「さよなら」「じゃあね~」 「またね・・・」それとも「Bye Bye」

  

  先日、年配の女性から

  「おみょうにち、おしづかに」 と、言葉を掛けられた。

  さよならするところだったのに、思わずその方を引きとめ、

  「どんな意味なのでしょう?」と、お聞きしてしまった。

  「おみょうにち」とは 「お明日」と書く。明日のこと。 

これからやって来てくれる明日に 『御』の字を付けるなんて

どれだけ 有り難く思うんだろう・・・・。

  

  「おしづか」は 何事もなくとか、無事にとか。 

  「明日がまた 平々凡々でありますように」ってことらしい。

  平凡な明日を生きられること。昨日と同じ今日を迎えることが出来て、

  今日の延長上にある明日を生きられること。そして

  また貴女に逢うことが可能な未来でありますように・・・・

  そんな沢山の願いを込めた仙台弁なのだということを

  教えてくださった。 

  しかし、今の若い人の間では 全く使われない。

  

   こんな素敵な言葉を さらりと口に出来るお嬢さんがいたら

   とっても とっても 素敵・・・・。

  

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まったり。まったり。

今の職場で、京都生まれ、京都育ちの女性とご一緒している。

その方が、わが県の自営業の男性と縁あって結婚し、

風習も、気候も全く異なるこの地で、

子どもを授かり、この地にしっかり根付いて生活していらっしゃる。

彼女の使う言葉「ありがとう」の代わりに「おおきに」。

「京を離れて何十年も過ぎるのに 

イントネーションと京言葉はなかなか抜けはらしませんのやわ~」

  煮詰まってきたとき、イラついてきたときに聞く京都弁の柔らかさに

  陽だまりのような温かさを感じる。

その「おおきに・・・」を聞くたび、

その女性が暮らしていただろう京の街が、

佇まいが 目に見えるよう・・・・

  

  いがいがだったその場が 一瞬にして穏やかになるのは

  言葉の持つ不思議な魅力。 京都弁ならではなんだろうなぁ~

  

      まったり・・・まったり いたしましょう・・・

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夢のあとさき。

今、コーラスに夢中になっている。

しかし、これ期限付きの練習なのだけれど。

娘の通う中学の文化祭では、毎年クラス対抗の合唱コンクールが行われる。

今年も1ヶ月も前から 朝と放課後を利用しての練習が続いている。

今年は、初めて父兄の合唱隊を結成することとなったのだ。

歌う曲は2曲。 『翼を下さい』と、『少年時代』(井上陽水)

今晩が2回目の練習となって、なんとか形になった。

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歌詞のなかに

『夢のあとさき』という言葉がある。

前々から気になっていた。『あとさき』の言葉。

嵐の「happiness」のなかにも「~♪思い出のあとさき~♪」の歌詞がある。

それから、大分前だが、さだまさしの歌にも「つゆのあとさき」っていうのがある。

あとさき=『後先』 辞書には、先のことと後のこと。(まんまかぁ・・)

順序が入れ替わることとある。

少年時代は、ちょうど今頃の季節の、

過ぎ去ってしまった夏を惜しむ歌。 まわりは、木々が色づきはじめ、

影法師が夜道に長くのび、★も綺麗に輝いて美しいのだけれど、

同じ夜空に 数ヶ月前には花火が美しかったのだ。

そんな想いを、ハーモニーにのせながら、

あと少しの練習を 楽しんでいる。

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『たそがれる』とは?

『たそがれる』という言葉が、ずっと引っかかっていた。

たそがれとは、『誰(た)そ彼(かれ)』といい、

( 向こうにいる人が誰なのか区別がつかなくなる )夕方。

日が暮れる頃のことを言う。終末の少し手前。

人生の黄昏。老いた方を指す言葉。

マイナスのイメージで使う言葉だと、けっしていい感じはしなかった。

  さて、映画『めがね』を観たという女性と、話す機会があった。

  小さな海辺の町に、宿を求めた旅人が、

  宿の人たちほか、あまりの自由奔放な町の人々に

  初めはいちいち心乱されるが、しばらく宿に滞在するうち

  流れる時間に身をまかせる心地よさを知る。ひたすら自由を味わいつくす。

  どこに行くでもなく、何をするでもなく ただただ心を解き放つ。

それが、この映画で使われる『たそがれる』の意味なのだとか。

「私も、そんな場に出かけて、1日中たそがれてみたいわぁ~」と、その方。

何故、『めがね』の題なのかはついぞ教えてはくれなかった。

「自分の目で、確かめてごらん・・・」のひと言で 去られてしまった。

   『たそがれる』 そういう意味として捉えるのならば、実にいい言葉になる。

 

しかし・・・映画『めがね』の話をしてくれたのは

御年、78歳の女性。 それにも驚くが

「かもめ食堂も観たんだけど、これまたいい映画なんだぁ~」と続く。

『たそがれる』暇などないくらい、若い感性のパワフルな女性なのだった・・・。

映画「めがね」オリジナル・サウンドトラック

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心一杯。

結婚する前に習っていた日舞のお匠さんから

文をいただきました。

稽古に通えなくなり、すでに15年ほどたっているのですが

中元と歳暮のご挨拶だけは 続いています。

今年の中元のお返しにと、いつも今頃の時期に

『心一杯』の のし紙の付いたお品と

手書きのお手紙を頂戴するのです。

いつもいただく『心一杯』とは

「精一杯の心で、ありったけの気持ちで・・・」の意味だと

ずっと思っていたのですが、

「一杯分だけ、ほんの少し」という反対の意味だったことを知りました。

先生の性格を考えれば、わかりそうなものです。

言葉をよく知らないことが どれほどの誤解を呼ぶものか、

少し青ざめてしまった出来事でした。

昔から使われてきた美しい日本語の数々。言葉使い。

決して無くしてはならないもののひとつです。

しかし、昔から使われる『心一杯』 の控えめな意味ではなく、

『心いっぱい』(できるだけいっぱい!) の意味のほうが

今のご時世、合ってるのかもしれません。

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風花

2,3日前は コートを手放して歩けるほど

暖かい日が続いたが、

今日は うって変わり これぞ年末の天気!

ってかんじ。  1日中 風花が舞っていた。

西風に運ばれてきた雪の花びら。

まだまだ雪になりきれず、飛んできては消えてゆく。

咲いてはすぐ散っていく儚さゆえ、

「雪」とは呼ばず、あえて「花」とよんだ昔人の

心が よくわかる。

「今日」を生きる人の1日1日も 風花のようだ。

2年あまり 好きなことを仕事に出来た私は

幸せだったのだと思う。

  本日の読書メモ  「虹の女神」 桜井 亜美

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悔いなし

エッセイストの大石邦子さんが

地方小冊子に連載されている『風のあとさき』の中で

日記の年頭に毎年書いておく言葉だと

紹介してくれた。

  『 苦しみや悲しみに出会ったとき、

    もし変えることのできるものであれば、

    それを変えるだけの勇気を。

    変えることのできないものであれば、

    それを受容れるだけの心を。

    そして、変えることのできるものと、

    出来ないものとを見分ける知恵とを、

    どうぞ与えてください 』

この言葉に後押しされるように 

私の優柔不断な心が 動き始めた。

今年いっぱいで 辞職することを決めた。

  本日の読書メモ 『ハル 哲学する犬』 クォンデウォン 蓮池薫 訳

  

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思い差し・思い取り

12月も半分が過ぎ、忘年会の季節。

最近は 居酒屋などの飲み会でも 

「生ビール!」「酎ハイ!」ってのがほとんどで

お酌する機会も少なくなっている。

わずらわしさもなくって 

かえって気が楽なのかもしれないが。

その人を想い、心こめてお酒をつぐことを「思い差し」、

その気持ちに対し 好意をもって差された杯を

受けることは「思い取り」と いうそうだ。

日本語ならではの 素敵な言い方。

我が家では ビール、焼酎よりも 日本酒が好き。

以前は コップ片手に浴びるほど飲んだ主人も

病気復帰してからは 値は高くても いいお酒を

少しずつ いただくようになった。

もちろん 器も コップからお猪口に変え、

人肌に燗をして・・・

うちで飲むときは 手酌はナシ。 

それが約束なしの決め事になっている。

「1日お疲れ!」「お~!」 くらいの乾杯だけど

そのなかには (今日も健康でいられてよかった!)

という 想いが詰まっている 「思い差し」。

相手は 「思い取り」の気持ちがあるようには

けして見えないが・・・

まぁ いいっか~!

    本日の読書メモ  「ふたたびの恋」 野沢 尚

                

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